『西野神社参拝と自分の宗教観』

先日はうちの近所にある神社に母と行ってきました。
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母はまぁ良く言えば信心深いので月に一回は来ています。 この日は僕は運転手がてら。
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近所の小さな神社なのですが、一時期テレビでも取り上げられたのかな? 芸能人がお参りしただかなんだか、よく知りませんが知名度が上がり参拝客が増えたそうです。
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この日もただの平日だったのに結構人がいたな。
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うちの祖父母は父方も母方も信心深い人たちで、それでいて非常に合理的に物事を判断できる優秀な人たちでした。
ですから、昔からお寺とか神社は好きで、宗教に対しても敬意は持ってますね。
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ただ、うちの母は残念ながら合理的思考の出来る人ではなく、父は宗教嫌い。 その影響も受けています。
うちは両親共に合理的思考の出来ない人たちなのですが、そこから現実逃避するために片方は極端に拒み、片方は極端に入れ込んでいるのだと思います。
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実際、僕の中での宗教観というものは、簡単に言えば矛盾していて明確な答えのあるものではないですね。
畏敬の念と敬意と共に、嫌悪感も蔑視感も共に持ち合わせています。
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お参りするときは何にたいしてどうお参りすればいいのかあまり深く考えずに、必ず最後にご先祖様たち、特に自分を育ててくれた両祖父母への感謝の気持ちでありがとうございますとお祈りして終えます。 見守っていてくれると思うからありがとうございましたではなくありがとうございます。
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おみくじはただの占いだと思っているのでまったくやりません。 自分で常に大吉だと思っていればそれでいいので。
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ちなみに厄年もまったく気にしません。 悪いことが起きるならばヘッジをかけるかインバース買いをするか、知恵を絞って乗り切って経験を積んで成長するか……結果良いように持っていけばいいだろうと思っています。
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人生、厄年以外は悪いこと一切起きないってもんでもないしね。 まぁ、そもそも厄年がなんなのもよぅ知らんけど。
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父母の葬儀の仕方も迷うところがあります。規模とか形式とか。
結局どうするかなぁと。 あと次世代の墓守も誰がするのかとかね。
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しかし子どもへのバランスの良い最低限の宗教教育って必要だと思います。
無宗教って真っ白空白だから怖いです。 新興宗教とかカルトとかが入る隙間がある。
合理的・論理的思考が出来るようにと共に、最低限の素養としての宗教観は必要なんじゃないかな。
特に祖父母や父母がどれだけ苦労して自分を育ててくれたかを、本人以外の人がよく教えてくれるのは重要だと思う。
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